性差

 

自分に女という機能が備わっていることが、時に悲しく、不必要に感じる。

小学生の頃、自分の体は平坦なままであれと願ったし、見ず知らずの人間から女であるという判断だけで触られたり、撮られたり、そういうことは懲り懲りだった。被害者の意識を持たねばならないことも、嫌だった。

高校生くらいになると諦観というものを得て、スカートの中を撮られたり電車の中で触られたりすることなんかはその日の夜には忘れた。別に減るもんじゃないし、構わないと思った。

 

目があった。相手の歩調が緩まる。すれ違う。背後に意識を持つと、ついてくるのがわかる。急に止まってみたり、角を曲がってみたりして、本当についてきているのか確かめる。面倒は嫌なので、気付き次第、巻く。人の姿が多い街中の場合、これは容易だ。

 

この間の井の頭公園の男もいつも通り、巻いて仕舞えばよかった。その時はどうしようもなく投げやりな気持ちでいたから、そうはしなかった。わたしは暇そうな素振りをしながら歩いた。彼は声をかけてきた。あー、と思って立ち止まることなくそのまま会話を続けた。年も近くて、ふわふわした喋り方をする人だった。やたらとベンチに座りたがっていた。わたしは抵抗する気力もなく、そのままついていった。辺りも暗くなってきて、人気の少ない、池に面したベンチに座った。恋愛の話を聞かれたので、今好きなひとと距離を保っている状態だ、悲しい、難しい。という感情をそのまま伝えた。彼は自分は相談に乗るのが得意と言っていた。たしかに、親身になって聞いてくれた。

 

見ず知らずの人といきなり深い話をしたりするのは、けっこう好きだ。自分も知らない、ありのまま心の内を吐き出せたりする。ただ、彼はただの気の良い個人相談所なんかではなかった。そりゃそうだよな。

ベンチの真ん中にある手すりを跨ぎたいと言った。ひとり分の空間の席にふたりで詰めて座りたいと言い出した。いや、無理があるよ、と思ったけど、彼は詰めてきた。肩を寄せてきた。手を握ってきた。しばらくすると彼はその手を彼の股間の上に置いた。熱を感じた。彼は手にも汗をかいていた。離そうとしたけれど、上から力を入れて抑えられていた。口では軽妙な会話を平然と続けていた。気持ちが悪い、と感じてしまった。ベンチに座った時点で、共犯関係だったはずなのに、わたしはひどい。心の中に被害者意識が芽生え始めてしまった。

わたしは大好きな彼に助けを求めたいだけだった。連絡を入れたら、ここに来てくれるかなと思っただけだった。心の中でどこかこの状況を望んでいたんだ。最悪だ。わたしは彼にとっても、目の前のこの人にとっても、中途半端に都合の良い人間だ。女という肉体を利用してつなぎとめたり、被害者になってみたりしている。なんて滑稽な姿だろう。

 

 

昨日、スカイツリーでフェイスペイントのイベントがあった。わたしはフェイスペインターとなって子供たちの顔におばけやらかぼちゃやらを描きまくった。わたしの描く絵はなんだか気が抜けていて、子供たちにハテナマークを浮かばせてしまったかも知れないが、けっこう喜んでくれて嬉しかった。

三十代くらいの男性がひとりでやってきた。わたしの席に座って、手に絵を描いてほしいと。彼の目的はなんだろう。このイベントに興味があるのか、スカイツリーのありとあるイベントを制覇しようと試みている人なのか、フェイスペイントに興味があるのか。

わたしは彼の右手を自分の左手で支えながら、おばけの絵を描いていった。固く、全く動かない彼の手は、子供たちのはちきれそうなぴちぴち肌とも、自分の良く知った二十代の肌とも違う。少し乾燥していて皺が刻まれていて、ごつごつとしていて、血管が太く浮き出ていた。

わたしは自分の中にあたたかいものがこみ上げるのを感じた。その時、女としての機能を肯定できた。こうして触れ合うことで、彼の一部が満たされたりして、すこし良い気分にすることができるなら、いくらでもするよ、と思った。勝手な思い違いかも知れない。でもあの時彼のおなかも、あたたかくなっていたのではないだろうか、と思ってしまった。

アイドルの握手会にどこか潔白さを感じるのは、もしかするとそれは一方的な愛に見えて実は両方向の力が働いているからなのかも知れない。わたしにアイドルの機能は無いが、女としての機能があの場に温もりを与えていたとしたら、わたしは女であることに感謝せざるを得ない、と思った。

 

性差というものが存在するのは、補う行為の愛しさを、確認させるためなのかも知れない。