surround
最近心を揺さぶられたこと。
小さなことでも、その瞬間が愛おしくて、なるべく多くを刻みつけたい。
そう思って細かなメモをたくさん取っていた10代。それはまるで秘密裏にこの世界に散らばっている記号を、見つけては拾い集めるような、日常的なひとり遊びだった。
あのメモを取らなくなったのは、いつ頃からだっただろう。
『大人はいつも、時間がないと言う』
働く大人と近くで過ごしていて、それはたいていの大人には当てはまる真理だった。それを人ごとのように思い続ければ、自分には訪れないとなんとなく信じていた。
飄々と、軽やかに、自分と外的なすべてのものは対等でありたいと願っていた。
しかし近頃の私は、どうも何かの歯車に組み込まれてしまったらしい。私は私ではない誰かの
時間軸の中で動くよう求められているみたいだ。
それは、とても窮屈です。
それが、働くということなんでしょうか。
小さなsosを、からだが出し始め、抗いもせず堕ちていきそうだった私を、すんでのところですくいとめてくれた人がいる。
その人は私にほつれたヘッドフォンを直してほしいといった。10年も使っていて、スポンジ部分が壊れる度に修理に出していたけれど、ついに型が古くなってしまいもう修理には出せなくなってしまったのだという。
「とにかく良い音だから、聴いてみなよ」
そう言われてヘッドフォンで耳を包んだ。
その人が再生ボタンを押した瞬間、音がわたしのからだに、そのヘッドフォンと同じくらいボロけていたわたしのからだに、流れ込んだ。
聴きなれない立体的な音に、からだ中の細胞が目を覚まして、一斉に立ち上がったようだった。
思えばイヤフォンですらあまり音楽を聴いていない日々だった。大好きだった音楽すら、鑑賞できる状態じゃなかったことに気付かされ、発せられていた小さなsosとやっと対峙することができた。
I feel it coming.
その時わたしの耳に届いた彼と、果たして本当に会う日が来てしまうのだろうか。