涙くん

 

この閉塞的な日々に、否が応でも自分というものが浮き彫りになってくる。

規則的な毎日がもたらすそれが怖いから、わたしはいつもスケジュール帳を移動と行動で埋めていた。

ひとりでいると自分は、勝手に深く落ちていってしまう。10歳の時にソファに沈んで流した涙を、忘れられない。

 

それなのにひとりを欲してしまう。誰かと深くつながることが、自分にはできないと諦めてしまう。寂しいに、安心を求めてしまう。

空っぽの家にひとりで帰る毎日。暗い、静かな、冷え冷えとした部屋。心の中でそれがわたしにとっての本当の家の姿だと、ずっと昔に焼き付けてしまったのかもしれない。あたたかさに触れると、自分はここにはいてはいけないと、ハッとして心を許せない。

 

そんなふうに感じて、最近はよく涙が流れる。ある日彼の前でも涙が出てきて、そうしたら彼はぎゅっと抱きしめてくれた。体を預けることは、温もりを共有することは、こんなにも身体が嬉しいことなんだ。

 

今日はひとりだったから、どんどん深く落ちていった。空っぽになってしまったから、鞄も持たずに外に出た。当てもなく、川沿いを、住宅街を、坂道を、とことこ歩いた。人の姿に、萎縮してしまう自分も嫌で、なるべく人通りの少なそうな道を選んだ。

ある十字路に、青い膝丈のワンピースを着たショートヘアの女の人が立っていた。すらっとした足をなんてことなく晒し出し、腕には赤ちゃんを抱いていた。外の空気を吸いに、ちょっと出てきたという格好だった。

パッと目が合い、いつもならすぐそらしてしまうところだが、彼女があまりに気持ちの良い雰囲気だったから、そのまますこし顔を見た。向こうがこちらを見る目もどこか好意的な気がした。あと一息で、こんにちはと話しかけてしまっていたかもしれないくらい、自然な空気を纏っていた。

 

すれ違いざまに、彼女が歌を歌っているのに気がついた。赤ちゃんをあやしていたのだろう。

そのメロディに、聴き覚えがあった。彼女から遠くなりながら、小さく続きを口ずさんだ。

「…この〜世はかなしいことだらけ…」

あ、坂本九だ。続きを思い出す。

 

「涙くんさよなら」

 

その歌は、そのすれ違いは、しけしけとした夕刻の散歩を、軽やかに慰めてくれた。