favorite hates
茄子の味噌炒めをおかずに、白いご飯とビールを一缶開けて晩ご飯とした。
溝口健二の『夜の女』をパソコンで観ながら。
食事が終わって、まだ映画は続いていたから、電気を消してそのまま続けた。
開け放っていた窓からは、夏の夜の風が吹いた。
わたしがこの風をしっかりと意識的に好きだと気付いたのは、一人暮らしを始めてからだったと思う。
外に出たくなった。
映画が終わると、部屋着のショートパンツをロングスカートで覆い、カーディガンを羽織り、ペタペタと鳴るタイの道端で買ってきた安いサンダルをひっかけて家を出た。
久し振りに一人で歩く夜の街。ユーレイごっこの気分が蘇った。
人通りは少なく、なんだか街自体の重荷が減って、身軽になったように見えた。
ペタペタペタ。風の抜ける夜の住宅街を、フラフラと歩いた。
お酒でも買おうかと思ったけれど、心の声はその時、甘いものを欲していた。
バナナミルクの棒付きアイスを買った。
アイスを食べ切るまでを帰り道とするように、すこし遠回りして家まで歩いた。
バナナ、そういえば。
Sという特別な女の子がいる。彼女がうちに遊びに来た夜があった。ふたりでオムライスを作っている時に彼女のした話を、そのバナナの味でふと思い出した。
彼女は小さい頃、バナナが嫌いだった。ひと口だって食べれなかった。彼女はずっとバナナ嫌いとして、20年間生きてきた。しかし最近になって、バナナが食べられるようになった自分に気がついてしまった。彼女はそれが寂しいと言った。バナナは彼女にとって大切な、嫌いな食べ物だったのだ。
その感覚、よく分かった。彼女におけるバナナは、私におけるチョコレートであった。
私は小さい頃からチョコレートの濃厚に甘いのが苦手で、自ら好んでチョコレートを求めることはまずなかった。
そのことは同世代の女子達からすると物珍しいようで、話すと大抵驚かれたり、損な人生だと同情された。
それがどうだ。チョコレートというのは誰かの好意でいただく機会が少なくない。いつからか相手に悪いからリハビリ的に、少しだけ食べるよう心がけ始めた。そして今やだんだんと克服の兆候が見られてきたのだ。まだ好んで食べるほどではないが、食べれないことはない、という状態である。
便宜的に食べれるようになってしまったチョコレート。社会的チョコレート。
彼女のバナナ、私のチョコレート。
手放したくない、キライの話。