ひとり/ふたり

 

 

あ、あの人私の方を見ているな

ということを誰かの目を見ながら思った時、その瞬間ふたりは、見つめ合っている。

 

そのことに気がついた保育園時代、両想いという奇跡をすこし身近に感じた。案外認識するより前に、その状態は訪れていたりするのかも知れない、ということをぼんやり発覚した。

 

確かに、両想いの瞬間というのは、もっと日常的に生まれては消えているように思う。無意識レベルで、言葉になる前の感情が、あちこちで実は成就している。目に見えない不確かな期待を、確かなものにしたいから人は、言葉を使って、関係性に名前をつける。

 

彼女、彼氏、妻、夫、恋人、愛人。

 

こうやって名付けることで、自分を縛り、相手を縛り、契約という安心を獲得する。

 

わたしは、わたしという人間以外、何にもなれないと思う。彼女ってひとも、恋人ってひとも、この世界にはもうそれはそれは大量に存在するわけだけど、それは社会というものがあっての名前で、自分のアイデンティティはひとつも要さない。へー、としか思わない。

 

とか言って、信じて、壊れる時ののダメージが怖いんだ。

結局は弱さと自衛。

 

それほどまでに、ひとりで生きてきてしまった人生を、愛でるわけでも、悲しむわけでもなく、抱いたまま、これからも生きる。