ばったり三昧

 

湛えての上映を終えた次の日。

T氏のお誘いを受けて、川合さんと奇奇さんとジブリ美術館に行った。宮崎駿監督が二年間かけた15分間のCGアニメーション、毛虫のボロを見た。心くすぐられる、とってもキュートなボロ。ふざけたタモリさんの声だけの音響。小さい目で見た大きな大きな自然。空気を舞う透明なキューブ。光合成

最後のクレジットでパッと目に飛び込んだ、高木創 氏 の文字。あら!だって昨日会ったばかりの人だった。似てるからとよくわかんない理由でツーショットも撮ってもらった。授業の教師陣でなんとなく居心地が良かった方だった。技術でちゃんと、フォローしてくれるし。

そういえばジブリの音響もやっていると言っていたな〜。

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6時頃吉祥寺駅で解散したから、ひとり吉祥寺アップリンクに寄ってみた。何を見るわけでもなかったけど、T君が今日ここで映画を見ないかと呼びかけてたこともあって、なんとなく来てみた。もうその映画は始まってたし、他に観るものもなかったので、トイレにだけ寄って帰ろうかと思った。トイレの個室から出ようと扉を開けたその時、あらまあ!よく知った、昨日も見た顔が斜め前の個室からちょうど出て来たもんだから、えーーーーーって叫んだ、ふたりして。結構大きい声出してたな、まわりのひとびっくりしてたかな、、。彼女はたかが世界の終わり を観終わって、これから帰るとこだった。こんなミラクルってあるんだね。彼女はエクセルシオールに、わたしは歩いて家に、各々別れた。

 

翌日、この日はアメリカコメディ番組の美術インターンで大久保に来ていた。ここ一年散々通った大久保に、続けて別の用でやって来るこの偶然もなかなかなものだが、この後さらなる偶然がわたしをびっくりさせるのだった…。

というと少しハードル上げすぎかも。

大久保の倉庫から100均に買い物に行く道すがら。いつも通り多国籍な大久保駅新大久保駅への道。テレビリポーターが欧米系の男の人にカメラとマイクを向けてた。肩にはQさま と書いてあった。ほ〜取材してる。なんて思いながら100均へ。買い物を済ませて外に出ると、また別の男の人にQさま隊が声をかけていた。また欧米系のひとなのかな〜なんてちらっと見てみると、なんだ知ってる顔が、、あれれ!Douglas…!高校時代に半年だけ授業してくれた。映画を字幕なしの英語で見る授業だった。フォレスト・ガンプとかマイフェアレディとか、dr.Tと5000本の指とか、観たな、、

彼がわたしを覚えてるとも思えなかったし、インタビュー中だったから声はかけなかったけど、なんともびっくりな再会だった。

 

そして今日。インターン代の請求書が今日必着だった。先延ばししてしまっていたから、気付いたら当日だった。ポストに入れるのは怖いし、郵便局に出しに行こうと思い10時半、駅前の郵便局へ。今日必着で!と意気揚々とお願いしたら、今日出す分は、10時に締め切ってしまいました…と。 ガビーン。近所の大きめの郵便局も10時半締め切りなのでもう間に合わず、、仕方なく渋谷区の住所に直接届けに行くことにした。桜ヶ丘から大和田を通り過ぎ、クオモの向かいあたりの建物。ガラス張りに植物の繁る、オッシャレ〜なオフィスだった。コレ不法侵入みたいに思われないかな、と少しドキドキしていると、入り口近くの喫煙所に、見たことのある顔を発見…。ありゃ〜!衣装デザイナーのO氏だった。前に一度お会いしたことがあったけど、向こうは覚えていないだろうし、わたしの心が向いているのはやはりI氏だと思い、声はかけなかった。しかしこんなにタイミングよくばったりできたのは嬉しかった。

 

わたしが一方的に認知しているように、わたしが街をアホっぽく歩いているのを、どこかの目が捉えているんでしょうかね。あ〜コワイコワイ。

 

ラムネの顔

 

暮れのキャットストリートは誰もいない。

渋谷駅の始発は、待ち人がたくさんいる。

 

きょうはとりわけ、息が白い。

総武線の始発まで、あと12分。

 

10歳の時、遺書の内容を考えることでしか、抜け道を見出せなかった女の子は、今こうして、逃走癖を発揮することでしか、解放できてない。

 

今晩は楽しかった。あのこの作る鍋はとってもとってもおいしかった。だけどやっぱり、出てきてしまった。なんだか、ひとりで寒い午前3時原宿を歩いていたら、涙がびしゃびしゃ流れてきた。懐かしい風景と、いまの自分のふがいなさと、未来の不透明さが一緒になって、今年いちばんの大号泣に行き着いた。

 

けんかをやめて。原宿のお家を出る瞬間、この曲が聴きたくなった。ちゃんと聴いたことなんて、多分一度もなかった。中学時代、まい子が突然に後ろを振り返ってこの曲を勧めてきたんだ。

エンドレス再生。酔った朝方は、ひとつの曲を永遠に流し続ける傾向がある。

夏の始まりには、free flowerのyes、はたまた中島みゆきの悪女。この間は、シーナ&ロケッツのyou may dream。流し続けないと、現実が迫ってきてしまう。悪酔いできない成れの果て。せめてもの羽目外しなんだろうか。

 

キャットストリートの入り口のところのファミマで、抹茶ラテを注文した。ミルクを多めに入れて。あまくて温かくて、優しいがおなかに染み込んだ。

 

ラムネを食べるのは、病んでる系だと言われたよ。顔つきのラムネはラッキー印。そんなのみんな知ってるでしょう?

 

おうちに帰りたい。綺麗にしたんだから。はやく、はやく。

 

 

星の降った夜

 

おばあちゃんが息を引き取った。

ふたご座流星群がやってきた夜だった。

 

マザリーノは「息を引き取る」とその表現を噛みしめるように小さくもう一度呟いていた。

わたしはまた死に目に立ち会うことができなかった。ビバの時に続いて。まただ、と瞬間肩を落とした。起き抜けマザリーノからの「電話ください」というメッセージで少し察した。そのメッセージに目は覚めたけど、後回しにしたくって画面を切った。また布団に潜って、昨日の幸せだった時間に想いを馳せた。寝起きの頭には昨日のあたたかな記憶と、先延ばしにした良くない知らせの予兆とが入り混じって、冬の灰の空みたいだった。

あまり心地良くない一時間の睡眠を経てやっと体を起こし、マザリーノに電話をかけた。良くない知らせの予兆はあっという間に現実になった。あーーあ、なんでわたしはここにいるんだろう。昨日の夜のマザリーノからの電話で、雲行きを察していれば、その場でタクシーに乗ることだったできたのに。

…いや違う。昨夜はただただ自分の幸せににやけていて、あたたかい布団にもぐりたくて、そんな選択肢実際はなかった。

偽善、という生温かい液体に体を包みこまれたようで気持ちが悪かった。

なんで呼んでくれなかったのか、とマザリーノを責める気持ちも湧いてきた。でもすぐ、人のせいにすることの無意味さに気がついて自分を責めた。結局そばにいなかったのは事実だ。おばあちゃんの息がどんどん細くなっている時、マザリーノは彼女のそばにいて、自分は自分の幸せな時間に酔っていた。

選んでいたのはとっくのとうに自分だった。

 

坂戸まで電車で向かった。

途中人身事故があって志木で一時間ほど足止めを食らった。電車の来ないホームで涙がどんどん出てきた。多分、風邪をひいた自分を病院に連れてこうとしてくれたおばあちゃんの横で、ホームにもかかわらずわんわん泣いてた、っていう昔の話を困ったようにするおばあちゃんを思い出していた。

保育園時代のその時の光景、微かに覚えている。なぜだか俯瞰で、自分とおばあちゃんが手をつないでいる。そんな画。

 

冬の太陽は強く斜めに射してきて、冷たい風の中、顔だけはずっと熱かった。

 

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銀の指環

 

またあいつに振り回された。逃 走 癖。

幸せを溜め込む容器が小さいのかな。なんだか人を好きになるのが怖い。愛されてると感じることが怖い。いつか壊れてしまうのが怖い。

贅沢病なんだろう。でも、自分には大きすぎるんだ。こんなに好きな人たちに囲まれて、夜な夜なお酒を飲んだり、朝の通勤の人たちに逆らって午前7時の白い街をフラフラ歩いたり。

家に帰って全裸になってシャワーを浴びて、タオルで体を拭いていたら、涙が出た。嗚咽も混じった、声を出して泣いていた。そのまま髪を乾かして、布団に入って眠った。

昼になって起きたら、一瞬切ない気持ちは置いてけぼりで、ぼんやりと幸せな感情だけが渦巻いていた。けど、すぐに虚無はやってきた。ああ、もうしばらくは会ったらいけない、勝手にそう思って悲しくなった。冷たい水で顔を洗って、昨日作ったトマトスープを温めて、パンを焼いて、12時ごろ朝昼兼ねたごはんを食べた。デザートに、ルビーグレープフルーツの半身に砂糖をまぶして食べた。T君から連絡が来た。映画館に加瀬亮がいたと。なんで連絡するの、消えようとしているのに、と思う反面、なんだか安心している自分もいた。確実に。

やめてほしい。心が弄ばれて、ずっと眠ってしまいたい気持ちになる。

昨日も行き着いた、ゴールデン街のあのお店。マスターが黒いスーツ姿だった。細身のネクタイの色も、黒。用があった、って言っていたけど、お葬式かな…。

いつもラジオみたいなスピーカーから昭和歌謡が小さく流れてる。わたしと監督はそれに小さく反応したりする。帰り際、チューリップの銀の指環が流れた。残念ながらマスターも監督も知らないみたいだったけど、わたしはなんだか嬉しくなった。あぁ、その嬉しい気持ちのままタクシーで帰ってしまえば良かった。そしたら朝、逃げてしまわなくて済んだのにな。去り際、反省。

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魔女修行

 

あー、ハッピーだ。

ハッピーが余って道玄坂からル・シネマ、ユーロスペースアップリンクを通ってイメージフォーラム、からの結局戻ってシネマヴェーラ帰還。という徒労すぎる渋谷循環をしてしまった。

 

チャーミングで魔女のようなI氏と、大好きなT氏。ふたりの偉大な大人の会話を見ていた。I氏は肌がピカピカしていて、繊細な仕事をしそうな華奢な手先と鋭い目力はなるほどあのエネルギーに満ちた世界を作り出すのかと納得した。T氏が敬語を使う姿は珍しかった。大きく分ければ、I氏からしたら私もT氏も同じくくりだということがなんだか不思議でおかしかった。

私は前回がいつだったか思い出せないくらい久し振りに、緊張していた。試験前に似た感覚だった。I氏の仕事について可能なだけ下調べをした。と言っても入手できる映像を観た、ということだけれど。勉強という名目で映画を見続けられるんだから幸せだった。念願だった二十世紀少年読本も観れたし。しかしどんな話が出てくるか、質問されるかもわからないからいくら観ても安心はできなかった。自分の目指す方向のずっとずっと先の方にもうちーっちゃくて見えなくなりそうなほど遠くに、だけど確実に道の先にいる方。一ファンとして、会えることにドキドキした。

渋谷駅から歩いて行く道すがら、T氏も少し緊張しているように思った。そりゃあ目上の方に仕事の相談に行くんだから。私と違って面識もあるんだしね。けれどT氏が横にいてくれるという安心感があったから、私はなんとか足を動かすことができた。時間より早めに着いたんで建物の目の前で立ち話をしたり、ピンポンがなくて、入り口直前でウロウロしたり、ふたりして緊張を隠せてない感じだったな。

私の渾身手書き自己紹介文、I氏に読んでもらえただろうか。白昼夢の誤字は今更ながら恥ずかしいな…。製本の仕方、きれいだって言ってもらえた。とりあえずそれは素直に嬉しいと受け取ります。I氏が席を外した隙に思わずT氏に「やっぱり素敵な方ですね」と話しかけてしまったら、笑われた。I氏の笑った顔は、よっちゃんに似ていた。緊張感のある感じも。黒いニットのエプロンワンピースの足元の、赤いタイツに目を奪われた。素敵だな…。

最後に質問は?とT氏が投げてくれたたので「いまこの事務所にほしい力は何ですか?」って聞いた。そしたら「愛かな」って笑いながら。そのあと少しまじめに「今は手より頭がほしいかな」って応えてくれた。なんだか嬉しい回答だった。

 

そんなこんなだったので、事務所を出た時は、解放された〜。ずっとにやにやしてた気がする。にやにや顔のまま、T氏がお茶かビールでもどうだろうと提案してくれたので、ぜひ!と二つ返事をした。お茶でもビールでも、どっちだって最高だった。結局、道玄坂入り口あたりの、パブ風のお店へ。T氏はギネスを頼んだ。私もそれが良い、と思ったけど一歩出遅れたので、kyneなんとかみたいなビールにした。気泡が見えないくらいきめ細かい白い泡が表面張力ギリギリで踏ん張っていて、こぼさないよう気をつけたけど、気をつけなくても弾力で持ち堪えるくらいしっかりとした泡だった。柔らかい舌触り。飲みやすくって美味しかったな。。途中聴き覚えのある曲、と思ったらcardigansのlife+5だった。全くこの街は思い出に溢れてしょうがない。

一緒に飲むの初めてだっけ?と聞かれたので、長岡で飲んだ日本酒が最初のお酒でした。って応えると、じゃあ三年越しだ〜って笑ってた。あの頃は苦い水だな、としか思わなかったけど、今は好きなお酒を聞かれたら日本酒と応えてしまう。英才教育の効果はてきめんのようですね。

T氏の若い頃の話をたくさん聞いた。今は学生時代にしかできないことをしなさいと。例えば?と聞くと、旅行という応え。それと免許とか英語の習得とか、本を読んで知識を蓄えるとか、基礎的なことをしっかりやっておいた方が良いと。若いうちの方が刺激に食い気味になれるから吸収力が違うんだ、って。唐十郎の演劇に感動して二度も公演に足を運んだことを教えてくれた。確かに旅行をしたり、最高な映画演劇に出会えると、この光景を全力で留めたいっていう気持ちになる。消したくなくて、切実なんだ。けど大人になったらその感覚も薄れてしまうのかな。それは余りにも悲しいことだから、でも感動はしますよね?と尋ねたら、それはするよ!と応えてくれたので安心した。

箱に閉じてた昔の記憶を、君なんかと話してるといくつも思い出す、と話していた。昔のアルバイトの話など。解体のアルバイトで、先輩もいなくひとりで老夫婦の古民家の風呂を解体することがあったという。たったひとりで、大きなハンマーだけ持って。けれどしっかりとした水色のタイルでできた浴槽は、華奢な体格の彼にはなかなか手強かったようで、苦戦したそうだった。家の主人は何度もお茶とお茶菓子を出してくれたりしたらしい。仕事だから壊さなければいけないのだけれど、よく出来た作りの浴槽なだけに、なかなか心苦しかったと。

それから盲目の夫婦の引越しを手伝った時の話も。それは先輩と2人で作業したらしいが、その夫婦がちゃんと置き場を指示してくれるんだ、と話していた。それまた作業は難航したそうだけど、今でも覚えている記憶だと教えてくれた。

「こうして事務所に訪ねに行った帰りにビールを飲めるのも、今のうちだけだよ」と言われた。いつものように笑った顔だったから、冗談半分で言ったのか、本当にこういう時間をこの先控えようと思っているのか、わからなくて少し悲しかった。私自身、今置かれている身がモラトリアムなことは薄々気づいている。贅沢すぎる状況だと。T氏とはこうして夕方からお酒を飲めたら、というか会っているだけで幸せな気持ちになるので、この関係がずっと続いてほしいとも思うけれど、毎度の先読み体質で、このあたりで綴じてしまった方がお互い美しい記憶でいられるのでは、とも思ったりもする。けれどT氏に会えなくなるのは悲しすぎる。だからついに潮時だ、と感じるギリギリまで、このまま時間を共有していたい、と思った。

 

文化の日

 

今日は何が何でも予定を入れぬよう気を遣ってきた日。

神保町で古本まつりが開かれる季節だ。マザリーノサンドロヴィッチの手伝いで昼からウロウロしてたのは、去年のことだったっけか?

神保町映画祭の手伝いをしていたのは一昨年のことだ。

今年は特に用は無かったが、提灯の灯りに照らさられながら路面に並ぶ古本が見たくなった。それに11/3はホームムービーの日という、70〜80年代に神保町周辺の家族が8ミリフィルムで撮った映像の上映が行われるらしいという情報を得た。これは行かなくては!と久々のお出掛け(映画館に行く以外の)を決意した。

 

せっかくなので、京橋の国立映画アーカイブ(フィルムセンターの方が響きは好きだ…)にも寄った。木村威夫という美術監督の生誕100年記念の展示を見た。なんだろう、鉛筆画の雰囲気に、T氏と近いものを感じた。けれど着彩されたデザイン画は線の動きが力強く、躍動感のあるものだった。

鈴木清順という監督とよくタッグを組んでいたらしい。元祖肉体の門も手掛けていた。と、ここで調べてびっくり情報。つい二、三日前ふらっとユーロスペースで夜に観てトラウマになった青山真治のエンバーマーという映画に出てた、あの老人医者役が鈴木清順という人らしい…。こういうところが繋がると少しぞくっとする。

伊藤佐智子さんが衣装を手がけたZIPANGの美術もしている模様。こりゃあ観ましょう。

 

そしてお目当てのホームムービーへ。歩いて40分ほどの道のり。東京駅、皇居を沿って、よく歩く道のりだった。開始には10分ほど間に合わなさそうだった。さくさく歩いて、書泉グランデの交差点が見えてきた。さくさく横断歩道を渡っていたら、向かいからイヤフォンつけて歩いて来る男の人に見覚えがあった。チョンダウンさん!私が初めてお金を出して絵を買った人だ。街で知り合いを見つけても大抵は声をかけないけれど、チョンさんに会えたのはなんだか嬉しくてあいさつした。相変わらず気持ちの良い受け応えをしてくれてハッピーになった。

そこからすぐがホームムービーの会場だった。古書会館。ここは神保町映画祭の時、訪れたことのある場所だった。控え室かな?

 

そこで観た映像は、どれも食い入るように見つめた。フィルムの色彩、親から子へのまなざし、よそゆきの服装で公園で遊ぶ子どもたち、お正月、靖国神社としまえん、麺類近代見本市、あかあかとした日光の紅葉、二ヶ月前の新生児、風呂場での現像風景。映写機の音、神保町ベテランたちの場所当ての声。家族の内で完結するための映像。100%身内ネタ。なのになぜか自分まで懐かしいような感覚を覚える。

この映像を寄贈した家族が解説をしに観にきていた。このあときっと打ち上げを兼ねて、美味しい食卓を囲むんだろうと思って羨ましくなった。

私も今日は板橋に帰る。父親が四川風鍋を用意してくれてるみたいだ。まっすぐは帰らない。少し寄り道して、いただきますの後に着くくらいを狙って、帰ることにしよう。

 

ハロウィンに風邪をひいてしまう人

 

今日は10月最後の日。

 

高校時代はこの日はもうお祭り騒ぎで、原宿のバイト先に仮装した友たちがやって来たり、予備校で慎ましく仮装をしてから渋谷に繰り出したり、街全体がお祭りムードだと思ってた。

大学に入ってからは芸祭といつも被っていたから、それはそれでお祭り騒ぎ。

ハロウィンのためではないけれど、まわりも自分も、みんな燃え尽きていた。

 

だから、ハロウィンの日の夕方に薬局から具合悪そうに出てきたマスク顔の男の人を見かけるということは、思い返せばここ5年くらいまず有り得ないんだろうなと、ふと思いついた。

それと同時に、ハロウィンの日に風邪をひいてる人を、なぜだかとても愛おしく感じた。

街全体の浮かれ騒ぎの中、彼はそれどころでない状況をひとり抱えている。あの眉間にしわを寄せた表情と、ふらふらとした足取り、ジャージにパーカーという、外出着になってしまった部屋着姿。あぁ、彼の世界は深刻だ。わたしには彼が持っていたあの薬がよく効きますように、と祈ってみることしかできなかった。眉間にしわを寄せた瞬間の目撃者になることで、その痛みが少しでも軽減されるシステムなら、あの時の自分はごく僅かでも人の役に立てたんだけどな。