Brighton

 

今年の3月下旬、イギリスのブライトンに留学中の友を訪ねた。高校以来のベストフレンド。

 

この街の魅力は海辺にある小さな遊園地が何より象徴している。人々はなんとなく坂道を下って行く。降りて行けば、街のシンボルである遊園地に辿り着く。海には人を惹きつける引力が働いていると思うけど、そこに遊園地があればぁ尚更だよね。

何も遊園地で遊ぶ必要はない。そこに遊園地があるという事実こそが、この海に対する人々の愛着を増幅させているんだろうと思った。

 

坂道の上には、モッズカルチャーへの敬意と誇りに溢れた街があった。古着屋、レコードショップ、おいしいコーヒーとパンのカフェ、パブ、雑貨屋、本屋、ギャラリー。曲がり角を曲がることがあんなに楽しいとは。いつまでも彷徨えるとすら思ったね。

自分の足にぴったりの革靴を買えた古着屋で、the whoのmy generationが流れた。店員のおじさんと服を選んでたお姉さんが小さく歌って踊り出した。あぁ、彼らもこの街が大好きなんだ。

3日目の夜、気軽なタイ料理のレストランに行った。グリーンカレーパッタイも美味しかったけどそこに行くまでの、薄暗く天井の低い入り組んだ路地がなんとも好物だった。長く黒いコートに身を包んだ大きな背中のおじさんがゆらゆら歩いていたのも、期せずして風景になっていた。

 

映画quadropheniaのロケ地を巡った。

Seven Sistersの白い崖。登って降りて、登って降りて、登って降りて登って、引き返した。

人はあまりいなかった。見晴らしと息切れがなんとも心地良くて、ああこれはモラトリアムの瞬間なんだと実感した。

Jimmyが彼女をデモの途中で匿う路地裏にも行った。映画のままの隠れ場。でも映画好きたちの落書きで埋め尽くされてた。“JimmyとStephはここで愛し合った”

 

今まで旅行に行って、また帰ってこよう、って思う場所はいくつかあるけど、この場所は並々ならない気持ちでそう思ってる。

ちょいとレコードを見繕いに行く気分で、また行こうっと。

 

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サリンジャーも基次郎も、きっとよく歩く

 

この季節は決まって心がもやもやする。若さのエネルギーを間に受けて、自分の体なんてぺしゃと潰されてしまう。あちらこちらで事件が巻き起こっていて、自分はそれを垣間みようとしてしまうから、栄養過多でへとへとだ。

これが刺激、なんだろうか。

たしかにそれを求めてしまうから、こうしてまた足を運んでしまうんだろうな。

場外にいるのではあまりにももったいないから。この先の人生で、きっと必要な栄養分なんだろうと思うから。

 

自分は良い映画を観れた、くらいの充実で一日中満腹になってしまうんだ。ゴーストワールドシーモアに近い性質だね、きっと。

今日の自分は、満たされすぎた。大好きな人と連れ立って歩いて。ゆかりの喫茶店で向かい合ってお昼を食べたり、映画を観て眠ってしまったり、もうひとりの大好きと三人で豚汁を囲んだり。ノスタルジーの瞬間に立ち会えたり。

このまま綴じれたら幸せなんだろうなって、いつも思う。いつも思うってことは未だ下降を知らないってことだから、それはそれで希望でもあるけれど。

 

自分はなんて面倒な人間なんだろう。こんな人間が一人前に人間の面してるんだからおもしろいよね。この世界ってけっこう寛容だよね。

The cure のthree imaginary boys しか聴けない情緒。やばいやばい。早いところ脱却しよう。

 

 

帰り道、なんだか遣り切れなくて、吉祥寺の丸善で安い計算用紙を買った。持っていた鉛筆で、ぐちゃぐちゃに通り過ぎる人のシルエットを描いてみた。相変わらず拙いもんだが、心は少し穏やかになった。

けれどそれでは飽き足らず、古書センターで昔の映画雑誌を買って、荻窪邪宗門に雪崩れ込んだ。店にはいつものおばあちゃんと、若い男の客がひとりで居た。なんだか良かった。追跡という映画の女優を模写した。テーブルの上の花と客の痕跡も。途中で入ってきた、アプリで出会って顔を合わせたばかりの男女の会話に辟易してしまった。夜までの時間潰しに勤しんでいるようで、形としては“お互いを知るための時間” ということなんだろうけど、なんだかとってもいやらしく感じた。あの場所は心落ち着かせてくれる理想郷だけど、今日はなんだかうるさく感じてしまった。けど、帰り際におばあちゃんが“これなんだかわからないけどあげる”って、飴をくれた。

 

そのまま電車に乗れなくて、歩いて帰った。荻窪から2時間もかけてたみたい。びっくりだ。

古本屋象のあしが半額セールになってて絵本を買った。人がいなかったから歩きながら歌を大声で歌った。涙が出たから泣いた。おばあちゃんの飴はゆずの味だった。夜になると少し怖い神社に入って、大きく曲がった大木を見上げた。ラーメン屋のめかぶラーメンを半分だけ食べたいと思った。コンビニの前でカップのちゃんぽん春雨を食べた。Canのmother skyを聴きながら歩いた。西邑さんにこの曲の音源を持ってないか連絡を入れた。

 

今日一日で25000歩歩いていた。

 

なんだか行き場のない夜になってしまったなぁ。

 

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旅行

 

ぼくらが旅に出る理由、という歌を作ったのは小沢健二。私もよく旅に出てしまうし、その度に考える。なぜ、旅に出たいと思うんだろう。

 

私の結論はいつも “さよならをするため” かな、というところに落ち着く。

旅には終わりがあるから、物理的な隔たりによって幕を閉じることができるから、それに至るまでの時間を意識的に濃密にしようとしたり、反芻しては心に刻みつけたりするんだと思う。それは毎日日記をつけたりする行為と近い。けれど旅の場合は、より切実だ。

さよならをすることは、涙を流すのと同じくらい浄化作用があるように感じる。ひとつの出会いを築いて、綴じることで、心の中がすっきり洗われるような。

それは勝手なことでしょうか。さすらいながら次の場所に向かう人が放ったさよならと、同じ場所にぽかんと穴だけ残された人が受け取ったさよならは、感じる重さが違うのでしょうか。前者は罪人、後者は被害者?

 

自分は前者になりがちだ。ただ、

もう二度と会うことはないかも知れない、しかし生きている限りどこかで再会する可能性も孕んでいる人がいる。自分とは全く交わらない日々を、かつてひと時でも交わった誰かが、当事者として生きている。そう、思いを馳せることが、自分に何より心の平穏をもたらしてくれる。

 

私は湖が好きだ。海の水平線や川の一方通行の流れも好きだけれど、湖は反対側が見えるから好きなんだ。安心する。終わりがあると思えること、自分には結構大切だったりする。f:id:gogatsunoko:20181027122748j:image

 

 

 

駅前宗教勧誘

一ヶ月ほど前のこと。駅を降りてすぐ、自分と歳の近い女性に声をかけられた。

 

宗教勧誘かな?何かの取材かな?

「今若い方に意識調査を行なっているのですが、お時間ありますか?」

時間はあるな

ー「あ、大丈夫です」

 

その女の人はジーンズにジャケットを羽織り、メガネをかけ、親しみやすい雰囲気のある印象だった。

「お姉さんは学生さん?」

ー「はい、大学生です」

 

「何を学んでいるんですか?」

ー「美術大学で、芸術のこととか、服のこととか」

 

「この近くに住んでいるの?」

ー「はい、去年の春にひとり暮らしを始めて。お姉さんもこの近くですか?」

「そうですね、実家がこの近くです」

 

「彼氏さんは?」

ん?

ー「いえ、いないです」

 

「趣味はなんですか?」

ー「映画を観たり、料理をしたり、夜の街を歩いたり、ですかね、、」

「夜の街を。この辺りをですか?」

ー「この辺りも好きですけど、もっと都心の方が好みです」

「ハァ、珍しい趣味をお持ちですね」

ー「どうやらそうみたいですね」

 

「自分の長所ってなんだと思います?」

ー「忘れっぽいところですかね。良くも悪くも」

 

「では今ひとり暮らしとかをされていますが、生活の満足度を100点満点で表すとしたら、何点ですか?」

最近楽しいからな、

ー「んー95点」

「なかなかな高得点が出ましたね!今まで聞いてきた中で一番かも」

ー「あ、そんなもんなんですね」

 

「最近何かおもしろいことってありました?」

大喜利なのかなこれ

ー「家の近くに、よく行くコンビニがあるんです。そこにいつ行ってもいるなぁっていうお兄さんが3人くらい働いていて。で、この前夜の9時くらいにそのコンビニの前を通りかかったら、ちょうどシフトの終わったらしきお兄さんがふたり、裏から自転車に乗って出てくるところだったんです。制服じゃなくて白いTシャツ姿の。ふたりでじゃあなって手を振って、別々の方向に自転車を漕いで行きました。その光景を見れたのがなんだか嬉しくて。心踊りました」

「…お姉さんは小さいことをおもしろがるんですね」

ー「確かに。満たされやすいんだと思います」

 

「お姉さんの将来の夢は?」

ー「将来のことはわかんないですけど、今興味があって知りたいのは映画美術と衣装のことです」

お姉さんはあまり映画を観ないと言っていた。

 

「では最後に、お姉さんにとって一番大切なものはなんですか?」

この質問の答えはなんだか照れるので自分の中に収めておこうと。

 

とまあここまで矢継ぎ早の質問攻めが続いたところで、お姉さんが自分の話もして良いですか、と聞いてきた。そうそう、それが聞きたかったの。

 

お姉さんはやっぱり宗教の人らしかったです。その宗教の集会があって、自分はそこに行っていろいろなもやもやが吹っ切れたんだと教えてくれました。こんどその集会がまたあって、重鎮の方々も来るからお姉さんもぜひどうですか?という話でした。

 

「お姉さんの宗教では、死んだら意識はどうなるんですか?」

宗教について私が一番気になる質問を投げかけてみた。

「死後には死後の世界があります。こんどの集会に行けばもっとわかりやすく教えてもらえるはずですよ…」

あまり腑に落ちた答えはもらえなかった。

「いろいろお話しできて楽しかったけど、今の自分は宗教を求めてはいないので、集会には行かないです。お姉さんも頑張ってね」

 

突然出会ったお姉さんに根掘り葉掘り訊かれるのはなんだか非日常的な体験で、それを与えてくれて私はとても楽しかったので、冷たく突き放して去りたくはないなと思った。あくまでありがとうの気持ちで話を終わらせたつもりだったけど、お姉さんはどう思ったかな?

 

残暑の続く日々だったけど、この日は夕方から急に冷え込んだ。長いこと立ち話をしていたせいで体は芯から冷えていた。

帰ってお酒を飲みながらつくづく思ったのは、自分宗教に向いていないな、ということでした。

 

思い立った記念日

 

ブログというものに憧れていました。

念願がこんなにもあっさりと叶ってしまって、びっくり仰天です。

 

思えば中学生のころ、ウィンドウズの分厚い画面を通してJKやら芸人さんやらの日常を覗き見ていたなあ。暖かい記憶です。

 

今では平たいスマートフォーンでさくさくとこの文章を書いています。

あの頃のパソコンの処理速度を遅いと思わない自分は、もう過去にしかいないのですかね。

 

楽しいブログにしますよきっと。

 

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