VERMEER

 

真珠の耳飾りの娘はいなかった。首飾りの娘はいた。上野の森美術館。マザリーノサンドロヴィッチと、17時からの回。

 

優しい、柔らかい絵だった。フェルメールの絵は8点だけだったけど、その前に40点ほど、同時代のオランダ画家たちの絵があった。

フェルメールは窓辺の風景を好んで描いていた。画面の左上に一枚の窓。木の格子がかかっていたり、ステンドグラスがあしらわれていたり。カーテンもあったり無かったり、青、黄色、白、長さも様々だ。床面が見えてる場合は大抵チェス盤柄だった。けれど色は画面の色調に合わせて無彩色だったりオレンジと緑の組み合わせだったりした。

画面の手前には、誰かが立ち去った後のような椅子が置かれていたり、そこに無造作に青い布がかけられていたりした。あくまで視線は窓からの光を浴びる人物に向かうようになっている。窓と向き合いながら真珠の首飾りを着けようとしている少女。窓の外を横目で見ながら座って楽器の調律をする女性。窓辺の机に置かれたパンの横で、器に水差しに入った牛乳を注ぐ女性。

どれも生活の一コマを切り取ったような無作為な瞬間に見えるけれど、モノの有無や配置、光の角度、壁の絵、行為、すべてをバチバチに決めてきてる。

そしてフェルメールの絵には、ストーリーがある。窓の外だったり、手紙の相手だったり、絵の中の2人の関係性だったり、表情に現れる深層心理だったり…。

観ている側の想像の余地を残しながらも、どこかにその意図がはっきりと落とし込まれているように思えてならない。

全く巧みだなぁ。

 

映画の美術は、そうか絵画から学ぶのは楽しい、と思った。